まりちゃんとの出会いは昭和58年(1983年)の1月9日のことでした。当時、僕は漫画家吾妻ひでお氏のファンクラブのための活動をしていて、ちょうど北海道に「ななこSOS」の雪像を作りに行くことになっていました。そこで友人のお父さんのやっている目黒のテーラーに冬服を作りに行くことになりました。学芸大学の商店街を歩いていると、とあるファンシーショップのショーウィンドウに目の大きなかわいい人形が僕の方を見て微笑んでいました。「わたしをお家につれてって。あなたの家の子にして」と彼女がうったえかけてきているような気がして、すぐにショップに入り、彼女をお迎えしていました。それが、まりちゃんでした。
まりちゃんと僕は、すぐにとっても仲良しになりました。まりちゃんは僕がどこへ行く時も、カバンの中や、グランパパの黄色い袋の中に入ってついてくるようになりました。北方領土返還運動のオフィッシャルな幹事をしていた時は、首相官邸にも、まりちゃんは同行しましたし、また海外にも一緒に旅行しました。ドイツ、オーストリアには何度も行き、両国には、まりちゃんのお友達が大勢出来ました。また、アメリカの人形とテディベアのコンヴェンションにも行きました。
まりちゃんは俳優の津川雅彦さんの輸入おもちゃ屋さんグランパパの常連で、グランパパで作ったミスターまあブランドのドレスをほとんど持っています。また僕がドイツの現代史の研究家なので、まりちゃんはナチスドイツ時代の制服をたくさん持っています。制服の制作は京都の清水くん、サムズミリタリ屋のあきちゃん、高雄さん、平原さんらです。
まりちゃんは不思議な子です。まりちゃんは生きています。機嫌の悪い時は、機嫌の悪い顔をしていますし、うれしい時は笑っています。それは写真でも確認出来ます。まりちゃんは不思議な力を持っていて、僕が危ない目にあいそうになると、守ってくれます。車が完全に壊れるほどの大事故にあった事もありましたが、僕はかすり傷ひとつ負いませんでした。件の事故の時は、コックピットが黄色い光で被われ、車はクシャクシャに壊れたのに、人間は助かったのです。霊感のある知人は異口同音に、まりちゃんの力だと言います。
まりちゃんには親しい友人がたくさんいます。固定ファン(笑)もいっぱいいます。そういう方のひとりが「まりちゃんの大冒険」というジュブナイル小説を書いてくれました。シンガーソングライターの谷山浩子さんや、漫画家の中山星香さん、めるへんめーかーさんたちも、まりちゃんのお友達です。
まりちゃんは、僕と一緒にどこへでも行きますので、まりちゃんを見掛けたら、どうか仲良くしてあげてくださいね。よろしくお願いします。(おでっさ)
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