気がつくと僕はどこかの公園のベンチで寝ていた。体中に走る痛みを耐えながらゆっくりと起き上がる。遠くの方から微かに町の音が聞こえていた。
「夢、だったのか?」
ぼーっとする頭の中で、はかない希望を思い浮べていた。だが目の前にある、殆ど溶けかかったパトカーを見てため息をつく。
「気がついたかい?」
見ると傍らには、先程の二人の刑事も立っていた。
「さっきの化物はどうしたんだ?」
「さあね、我々の方が勝手に移動したみたいだから」
僕はバアン! とボンネットに手をつくと、大声で呻いた。
「一体、何がどうなってんだよ! もう頭の中がどうかなりそうだ! いい加減にしてくれ! 昨日、京都に着いたばかりだというのに訳の分らない事ばっかりだ! 僕が一体、何をしたっていうんだ! どうしてあんな化物が僕を狙うんだよ!」
ありったけの声で息巻くと、咳こんでその場にうずくまった。
「ここで何が起こってるんだよ! 誰か教えてくれ! あんた達は何者なんだ?」
「ハッ! ハッ! ハッ! それには私が答えましょう!」
突然、背後から甲高い元気な声が聞こえてきた。慌てて飛びのく。
「いやー! 待たせましたね田村君、平田君。私とまりちゃんが、来たからにはもう大丈夫!」
「本当はもっと早く来て欲しかったのですが」
田村刑事はニガ笑いしながらゆっくりと、タバコに火をつけた。
「いやー! 申し訳ない! 今日は色々と忙しかったものでね! そうそう、まだ自己紹介をしてなかったですね。私、後藤と申します」
そう言いながら差し出された名刺を受け取る。立派な和紙でできたその名刺には、和服・呉服・能衣裳・扇専門・後藤屋と書かれていた。
「僕は佐伯光司と言います」
大柄な男は大きく頷く。
「あの、呉服屋さんなんですか?」
「ええ、横浜ではハンドバッグ屋もやっていますよ」
色白で大柄なその男は、ニコニコしながら喋っていた。僕はその場にそぐわない、男の明るい迫力に押されて呆然とした。何でこんなに明るいんだ? 自分と正反対ではないか。後藤氏はそばにあったパトカーを見ると、アハハハハ! と大笑いした。
「こりゃまた、派手にやられたものですねー! ひどいもんだね!」
僕はムカッとすると、大声で言った。
「何がひどいもんだねだ! どうしてこんな風になったと思います?」
「無論、知ってますよ。赤雲のせいでしょ? 大変でしたねえ」
「あ、赤雲?」
「そうです。恨みを残して死んでいった妖怪達の怨念がかたまってできたものです」
「あっ!」
呆然とした。一体、この人は何者なんだ?
「まあ! 立ち話も何ですから私の家に行きましょう。こちらです」
後藤氏に先導されて公園から外に出た。彼は車の方を振り向くと、
「田村君、パトちゃんはあそこに置いといていいかな?」
「すぐ部下に取りにこさせますから、大丈夫です」
田村刑事が片目をつぶって答えた。
この連中は何かの仲間同士なのか? どうして警察と呉服屋の店主が仲がいいんだ? 一瞬、時代劇に出てくる悪徳代官と越後屋の関係を思い浮べたが、あの妖怪の事を思い出すとそんな事もいっていられない。とにかく自分は今、大変な境遇に置かれているらしい。この連中は何かを知っているようだ。少し落ち着いて辺りを見ると、どこかで見たような場所を歩いている事に気がついた。
「あれ? ここは確か」
「哲学の道です」
「どうしてこんな所に?」
「もともとこっちに向かっていたんだけどね。さっきの化物が現れたから、足留めをくってしまった」
「我々はここまで瞬間移動したって訳」
二人の刑事が言う。
「この後藤さんと言う人についていけば、その訳も分るんだな」
「そういう事。君、物分かりが少し良くなったな」
やがて銀閣寺の近くを通り過ぎ、ひっそりとした通りに面した一軒の店の中に入っていった。店の看板を見ると大きく「後藤屋」と書かれていた。いかにも昔からある老舗といった感じである。
「大きな店ですね」
「そんなに大したものではないですよ」
後藤氏が手元にあるリモコンを操作すると、目の前のガレージが静かに開き始めた。
「自動ですか」
「さ、どうぞ」
店の中に入ると、見事な着物が所狭しと飾られている。壁には能面などが掛っていた。普段ではなかなか見られないような反物もある。
「凄いなあ」
「着物に興味がおありですか?」
「日本の昔の物に興味があるんです」
「それが日本人の持つ自然な心というものでしょう。私も同じですよ、佐伯さん」
店の奥の方にある、座敷に上がると後藤氏がお茶を煎れて持ってきた。
「さてと、では佐伯光司さん。何からお話しましょう?」
「まずはあなた達が何者であるか、教えて下さい」
「そうですね、いうなれば我々も普通の人間なんですけどね。そうじゃないといえばそうじゃない」
後藤氏はそう言いながら、もう一枚名刺を差し出した。
「えっ? 名刺はもう頂きましたよ」
「ハッハッハッ! 私の名刺は何種類もあるもので、まあ見て下さいよ」
その名刺を手に取ると、「超常現象調査会・後藤修一」と書かれてあった。
「超常現象調査会? 何ですか? これ」
「平たくいえば、常識では考えられない事柄を調査する会です。会員は現在、八名います。勿論、田村君と平田君はメンバーですよ。彼等は警察でもこういった魔訶不思議な事件の担当なんです」
「後の五人はどんな人なんですか?」
「大学の先生とその助手なんかもいますね」
「みんな、あの化物と関係してるんですね?」
「そうです」
「でも、どうしてこんな活動を始めたのですか?」
「必然的にです。今は多くは語れませんが、もともとこの会は死んだ私の親友が一人で始めたのです。それを私が引き継いだのです。いや、正確には私達かな?」
後藤氏はそう言うと、カバンの中から一体の人形を取り出して僕に見せた。
また人形だ。僕ははさっきの信じ難い出来事を思い出した。でも例の市松とは違って、その人形は金髪の西洋風抱き人形だった。大きな茶色の丸い目がなぜか僕を見つめているような気がした。
「あの、このお人形さんが何か」
「この、まりちゃんが我々の会長です」
「会長!?」
後藤氏の口から奇怪な言葉がもれた。人形が会長なんて聞いた事もない。それとも単に僕をからかっているだけなのだろうか? 後藤氏がまりちゃんと称した、その人形は相変わらず僕の方を見つめている。僕は多少ムッとして言った。
「冗談にも程がある。そうは思いませんか?」
「冗談? ハッハッハッ! とんでもない! 私はいたって真面目ですよ」
「だったら、その人形が喋るとでもいうのですか?」
僕はさっきの市松を思い浮べながら言った。ひょっとしたらこの人形も、あの市松や舞姑の怪物の同類なのか? 僕はだんだん気味が悪くなってきた。
「まあまあ、佐伯さん。さっきの化物から我々を救ってくれたのは、このまりちゃんなんですよ。むしろ感謝しないと」
田村刑事が言う。
「何ですって?」
「佐伯さん達があの赤雲に襲われた時、私とまりちゃんはお客様と商談の真っ最中だったんですよ。赤雲の存在に気がついたまりちゃんは、私より先にあなた方のもとに飛んでいったのです。そうじゃないと、ここまでテレポートできる訳ないでしょう? それにあなた達があの公園にいる事も、私に分る訳がない」
「確かに、喰われそうになった瞬間、移動はしましたが…」
言葉を失ってしまった。後藤氏の傍らに座っている人形はあの不思議な市松とは違って、どう見てもただのおもちゃの人形としか思えない。この人形がどうやって、僕達をあの崖からテレポートさせたのだろうか?
そう思いながら、そのお人形を見つめていると突然、その人形が目の前からフッと消えてしまった。
「あっ! 消えた?」
僕は動揺した。
「ハハハハ、またまりちゃんのおいたが始ったな」
後藤氏が笑いながら言う。気がつくと誰かが後ろからつついている。
「えっ? 誰だ?」
『べろべろ、ばあ〜!』
「うわああああ!」
突然、今消えた筈のまりちゃんが、僕の後ろに迫ってきていた。あんまり慌てたので、飲んでいたお茶をこぼしてしまった。
「あちちちちち!」
「はっはっはっ! まりちゃん。おいたはいけませんよ」
周りの連中は平然と笑っている。
「どうでしょう、佐伯さん。これで少しは信じていただけましたか? 我々は貴方をからかったり威したりしているのではありません。ありのままを見て欲しいのです」
『ありのままを見ましょうね!』
お人形のまりちゃんは、そう言うと僕の頭を撫で撫でしていた。
「あは、あははは、人形に頭を撫でられた〜!」
「まりちゃんには皆な、頭を撫で撫でされました。今ではこれが我が超常現象調査会の歓迎の儀式となっています」
僕はとにかく、赤雲に助けられたお礼をまりちゃんに言った。
『よいしょっと!』
そう言うとまりちゃんは、僕の膝の上に上がってきた。おそるおそるまりちゃんを見つめる。やはりあの市松と同じようにこの人形も生きているんだ!
「ほんとに驚きました。でもまだ信じられません」
「そうでしょうね。ここにいる連中も始めはそうでした。確かにまりちゃんは、見かけはただの人形です。しかし見る人が見たら、ちゃんとした《生き人形》なんですよ」
「生き人形? 何ですか? それ」
後藤氏は手元にあったお茶を一気に飲み干すと、ゆっくりと話し始めた。
「少し講釈めいた話になりますがね、根源的な意味で考えると、そもそも人形というものは我々、人類にとっては実に大事な意味を持っているんですよ」
「どんな意味をですか?」
「人類発祥以来、人形はずっと我々のかけがえのない友人でした。人形はただのオモチャではありません。人間が手にした途端、意味を持つのです。お分りでしょうか?」
「具体的に言うと?」
「人形はある時は孤独な人々の心の支えとなり、またある時はヒトガタとして病気の子供の身代わりとなり、人間を災厄から守ってきました。それに人形を心から愛する人々にとって人形は人生そのものなんです」
「人生そのもの?」
「そうです。人形は嬉しい時も、悲しい時も我々と一緒です。そしてさまざまな気持ちを人間が注ぎ込む事によって、人形達には本当の命が注ぎ込まれます」
「…」
「そしてその人形の持ち主が《生きている!》と感じた時、その人形は本当に生きているんですよ!」
「じゃあ、まりちゃんにその命を吹き込んだのは、後藤さんなんですか?」
「そうともいえますが、違うともいえます」
「誰なんです?」
「その話はおいおいしてゆきましょう。取り敢えず今日はここまで」
「さて、どうしますか? 佐伯さん。超常現象調査会に入りますか?」
田村刑事が大きく伸びをしながら言う。
「あなたはここまで妖怪に関わっているし、偶然に巻き込まれた訳じゃなさそうですしね。勿論、これは強制ではありません。好きなようにして下さい」
「待って下さい、まだ僕はなぜ自分が妖怪達に狙われるのかその訳を聞いてないですよ!」
「それを知るには佐伯さん。明日、三十三間堂に行って下さい」
「三十三間堂? なぜです?」
「そこでまりちゃんのお友達が、あなたを待っています。そこに行けば、その理由が分るでしょう」
「その友達って、この会のメンバーなんですか?」
「そうです」
「だったら、ここに来てもいいのに」
「ハハハ、先方にも色々と都合があってですね、そこじゃないと具合の悪い事があるんですよ。とにかく何も考えずに行ってみてはどうです?」
「ええ。分りました」
『分りました?』
まりちゃんはそう言うと、佐伯の鼻をつまむ。
「わ、わかりまひた!」
とうとう僕はあの市松人形の事は言い出せなかった。とりつくしまがなかったのだ。
「ええと後藤さん。この次はいつ集りますか?」
田村刑事が手帳とにらめっこして言う。
「今週は結構、暇ですがね。三日後なんかどうでしょうか?」
「水曜日ですね。了解しました」
「佐伯さんも、良かったら是非来て下さい」
「あの、場所はどこですか?」
「決まったら連絡しますよ。ホテルはどこですか?」
「祇園ホテルです」
「ああ、あの四条通りの・・・」
「では、決まった時点で連絡を入れときます。とにかく明日は三十三間堂に行ってみて下さい」
「はい」
「では、今日はこれで解散!」
後藤氏が手をあげるとみんな一斉に立ち上がった。まりちゃんは僕の足下から後藤氏の方へ走っていった。僕はタクシーで祇園まで戻る事にした。後藤屋からタクシーの拾える大通りまではひたすら歩くしかない。時計に目をやると、もう十時を過ぎている。ふりかえると田村刑事と平田刑事は、その場に残ってまだ後藤氏と立ち話をしている。
「後藤さん、まさかあの武器の事ですかね?」
「かも知れません」
「少し彼には早すぎる気もしますが。それに決心もついてない」
「まあ、あれが決めた事ですからね、それでいいんでしょう。それに彼は私達とも少し立場が違う」
連中のヒソヒソ声に耳を傾けたが良く意味が分らない。
「じゃあ、さようなら」
「お気をつけて、もし何かあったら連絡下さい。電話番号は名刺に書いてあります」
「ええ」
後藤屋を出てから、ひとり考えた。どうも一筋縄ではいかない連中のようだ。なかなか真実を教えてくれそうにない。自分には何か秘密があるのだろうか? 歩きながら、これまでの事を頭の中で整理した。東寺で見た赤鬼のような人影、あれは赤雲とかいう化物の仕業だったのだろうか? それと先斗町で見た市松人形に舞姑人形、あの生きている人形達は何なのか? またなぜ互いに闘うのか? 丁度、タイミングを計ったように現れた二人の刑事。謎の呉服屋、後藤氏。それから超能力があるらしい、まりちゃんという人形。あの市松もそうだし、どうして人形に生命が宿っているんだろう?。不思議な事ばかりだ。
「とにかく明日、三十三間堂に行かないとな。しかし誰が待っているんだろう?」
考えながら歩いているといつのまにか大通りへ出た。僕はタクシーを拾うと、祇園ホテルまでと行き先を告げた。
|
|