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4.魔神の武器
 ジリリリリリリリリリリリ! と寝ている僕の耳元で目覚まし時計が鳴る。突然のベルの音で飛び起きた。周囲を見ると他の連中も「ううん」と唸りながら、起き上がるところだった。
「さて、歯でも磨いて散歩と洒落込みますか」
 寝ぼすけの僕と違って、後藤氏は寝覚めがいいようだ。商人だから当たり前といえば当たり前だが。それから簡単な朝食を済ますと、僕達は早朝の三千院を散歩した。
 見事に手入れされて少しくすんだ色の苔が、辺りの地面や岩、大木に生えている。普通ではめったに見られない景観だ。木と木の合間から早朝の陽光が入ってくる。僕は魔法を見るような感じでそれらを眺めていた。昨夜の深刻な話が嘘のようだ。
「あれ? まりちゃんと胡蝶は?」
「あっちでヒヨドリと遊んでいますよ」
 後藤氏の指差す方向には、二人がヒヨドリの群れに交じって飛んでいるのが見えた。
「あの鳥達は、まりちゃん達がそばにいても、平気ですね」
「ははは! 私達が行ったらつつかれますよ! あの子らは危害を加えないと分っているんですよね〜」
 まるで武家屋敷を思わせるような石垣が続いている。僕は石段の上で大きく伸びをした。
「あ〜! すがすがしいなあ!」
「ここが、気に入りましたか?」
 平田刑事が横に来て言う。
「勿論、もともと僕は観光が目的できたんですから」
「ここの自然はいいでしょう? まりちゃんもお気に入りなんですよ」
「大原がですか?」
「ええ、今は森林浴にこっています」
 するとまりちゃんが、後藤氏の所に戻ってきた。そのまま頭の上に乗っかって、後藤氏の頭をクシャクシャにする。
「これ、いけません! まりちゃん!」
『あははははは!』
「まりちゃんは元気がいいなあ」
『光司、京都は後、どこに行った事があるの?』
「まだ殆ど、見てないんだ」
『じゃあ、皆で遊びにいこうね。まり子も京都が大好き、ここを壊そうとする連中はまり子が許さないから!』
「ま〜りちゃ〜ん!」
 後藤氏が軽く上を睨んで言う。
「頭、何とかしてくれよ!」 
 後藤氏の髪の毛はあっちこっちに別れて、ハリネズミのようになっていた。 『ウフフフフ! 演奏が終わったショパンのようでしょ?』
「僕はリストの方が好きだ」
 その時、どこからか断続的な電子音が聞こえてきた。田村刑事が軽く舌打ちする。
「ちぇっ、今日は日曜なのに!」
 その音は田村刑事のポケットベルから鳴っていた。平田刑事がカバンから携帯電話を取り出す。
「はい、もしもし田村です。えっ? 変死体ですか? 場所はどこです? はいはい、了解しました。すぐに平田刑事と現地に向います」
 田村刑事は携帯電話を平田刑事に返すと、ため息まじりに言った。
「後藤さん。今、署から連絡がありまして」 
「何ですか?」
「鞍馬山で変死体が発見されたそうです。今日はどうしましょうか?」
「そうですね、まあとにかく行ってみましょう。田村さんの時間が許せば、嵐山にも行く事にしましょう。その点は問題ないと思いますよ」
「では、行きましょう」
 僕達は田村刑事の車に乗り込むと、そのまま三千院を後にした。
「あ〜あ、もっと遊びたかったなあ」
 僕は後を振り返りながらぼやいた。
「また来ればいいじゃないですか」
 平田刑事が笑いながら言う。大原から静原川沿いの街道を通って、鞍馬へと向う。深い山並に囲まれた鞍馬は昼間でも、薄暗い所が多い。こんな所に人が住んでいるのかと思わせる程である。カラス天狗や牛若丸が出てくるイメージにピッタリだ。
「確かここいら辺は、牛若丸が天狗に兵法を授かった所ですよね?」
「そうです。この先の貴船川は納涼地にもなっているんですよ」
「川床というやつですか?」
「そうです。もっとも今やったら寒いだけですがね」
 暗い山の中を歩いていくと、いたる所にグネグネと曲った大木の根が地面に盛り上がっている。
「変死体の発見された場所はどこですか?」
「この先の鞍馬寺だそうです」

 やがて広い石段を登っていくと山門があり、道は寺の境内の中へと続いていた。
「遺体はどこにあるんですかね?」
「この先の金堂のある場所だそうです」
 田村刑事がタバコを吹かしながら言う。やがて目の前にはジグザクに折れ曲がった石段が見えてきた。これを全部登るのはかなり骨が折れそうだ。
「ひえー! こりゃ大変だ」
 みんな息を切らしながら石段を登っていく。
「あれですよ、金堂前広場です」
 田村刑事の指差す方向に目をやると、目の前の大きな広場には数人の警官が右往左往していた。その内の一人が田村刑事の方に小走りで近寄ってきた。警官は田村刑事の前でサッと敬礼をした。
「御苦労様です!」
「どーも。御苦労様」
「遺体は?」
「あそこです。あの、こっちの方達は?」
 若い警官は僕達を怪訝そうに見る。
「いや、いいんだ。一応、関係者だから」
「失礼しました。どうぞ」
 警官に連れられて広場の奥までいくと、寺の関係者や観光客が遺体を遠巻きに囲むようにして立っていた。平田刑事がその中に割って入るようにして、遺体の上にかがむ。
「あの」
 若い警官が田村刑事に言う。
「ん? 何?」
「いえ、ご覧になると分ると思いますけど、これは他殺でしょうか?」
 田村刑事は遺体の上に被されていた、白いシーツを払い除ける。そこに居合せた者が全員、ウッ! と唸る。その遺体は常識では信じられないような状態だった。遺体の殆どの部分は皺だらけになっており、干からびていた。まるでミイラである。
「ガイ者の年齢は?」
「は、二十二歳です。運転免許証がカバンに入っとりました」
「二十二歳? これが?」
 再びミイラを見る。
「二十二歳がこんなに皺だらけとはね」
「体中の血液を抜かれた感じですね。バンパイヤでもいたのかな?」
 後藤氏が言った。
「私も色んな遺体を見て来ましたが。こんな感じのは初めてです」
 若い警官が興奮して言った。
「まあ、どのみち他殺でしょうね。その殺され方は異常だけど」
「けど信じられませんな。こんな遺体があるなんて」
「とにかく、ここから遺体を移して、検死解剖するしかないな。検分は終わったかい?」
「先に終わりました。あの、鑑識に回しましょうか?」
「いや、このままこの遺体を京都大学に移送する。遺体を運ぶ車を用意してくれ」 「了解しました!」
 若い警官は、そう叫ぶと走り去った。
「さてと」
 田村刑事が一同を見渡して言う。
「これから京都大学に行きたいと思います。遺体はあの所轄の連中に運んでもらいますから」
「京都大学ですか? どうして?」
 僕は思わず聞いた。
「京大には、超常現象調査会のメンバーが三人います。その内の一人は科学者でもあり医者でもあります。この遺体の鑑識を依頼するのです」
「科学者までいるんですか?」
「ちょっと変わった人ですがね。面白いですよ」
 そのまま、もときた石段を下っていく。佐伯は警官に聞こえないように後藤氏に尋ねる。
「あれは鬼のせいですか?」
「おそらく程度の低い、妖怪の仕業じゃないでしょうか?」
「血を吸うんですかね? 吸血鬼かな?」
「まあ、京大に行けば分るでしょう」

 僕達は車で深い山並を延々と下っていく。京都大学についた頃には、すでに夕方になっていた。大学の校内の適当な所に車を止め、建物の中に入っていく。
「遺体は慎重に運んでくれよ」
 田村刑事が随行した警官に指示している。京大の長い廊下を歩いていくと、やがて『超常現象調査会』と大きく書かれたプレートが目に入った。後藤氏達は黙ってその部屋の中に入っていく。
「ここですか? その三人がいるというのは」
「そうです。ここの設備は結構、充実していますよ」
 見ると、部屋の中には一見しただけでは何に使うかも分らない機器が所狭しと並んでいた。僕に分ったのはパソコンくらいである。
「凄い。これ全部、超常現象調査会で使うんですか?」
「言ったでしょう? 各人がそれぞれできる事をやると」
 後藤氏が荷物を台の上に乗せながら言う。平田刑事が壁際にあるインターホンのスイッチを押した。
「寺西教授、皆が来ましたよ」
《ああ! 分りました》
 インターホンの小さなスピーカーから、元気のいい声がする。
 僕はキョロキョロしながら歩き回った。部屋の角の方に小さなドアが開いていたので、中を覗いて見た。
「あれ?」
 その小さな部屋の中を見ると、小さなテーブルがあり、その前には一人の女性が座っていた。女性の手元を見ると、トランプでもしているんだろうか? じっとカードを見つめている。やがてその女性はトランプをテーブルの上に並べ始めた。
 占いでもしているのかな?
 そう考えていると、その女性は不意に顔をあげ、一瞬、驚いたような表情をしつつも頭をペコリと下げ、僕に会釈した。
「あの、占いですか?」
「ええ、それと似たようなものです」
「佐伯さん、こっちにどうぞ!」
 小部屋の外から後藤氏の声が聞こえる。急いで元の部屋に戻ると、そこには白衣を着た男が立っていた。両手をポケットに突っ込んだまま、田村刑事らと話し合っていた。
「寺西先生、こちらがお話した佐伯さんです」
「どーも、どーも、寺西です。あっ、ちょっと待って下さい。寺戸さんと小林君はどこにいったのかな?」
「あたしはここですよん」
 小さな部屋からさっきの女性が出てきた。
「ひょっとして超常現象調査会のメンバーですか?」
「そーです、紹介しましょう。この女性は寺戸さんといいます」
 あまり背の高くない女性は頭を下げ、微かに笑みを浮かべながらトランプをポケットの中にしまい込んだ。
「トランプをいつも持ち歩いているんですか?」
「はい。趣味なんです、下手だけど」
 そう言うと寺戸は今しまったばかりのトランプを取りだし適当にカードを繰り、テーブルの上にトンと置いた。それからじっと考え込むようにして、番号の見えないカードを上から順にひいて裏返していく。
「あの、何をやってるんですか?」
「それは、彼女の能力開発に使われているんです」
「一体、何の能力開発なんです?」
「早い話が、未来予知です。といっても彼女の場合ほんのすぐ先の事を言い当てるんです。いわゆるノストラダムスのような、長期に渡る予言力ではないのですが」
「よく当たる日もあれば、全く当たらない日もありますけど、あっ当たった! あれ? 外れた」
 寺戸は真剣な顔をしてカードを言い当てていく。しかし半分以上外れるのは果たして予知能力といえるのか? 妙に拍子抜した感じだ。超常現象調査会らしいといえばいえるかも知れない。
「もう一回、やろうっと」
 寺戸は再びカードをめくり始めている。
「何だか僕にもできそうだけどな」
「とんでもない、私達がしても十枚当たるかどうか分りませんよ」
 それもそうだな。と僕はあらためて感心した。
「お〜い、小林く〜ん」
 寺西教授は、もう一人のメンバーを呼びながら廊下の方に出ていった。
「この部屋はいつも三人だけなんですかね?」
「そうです。他の人はここには近寄りませんからね」
 後藤氏が頷きながら言う。
「小林さんはじきに現れますよ。面白い物持って」
 佐伯の傍らにいた寺戸が言った。やがて寺西教授に連れられてもう一人のメンバーが姿を現した。その男は照れ笑いを浮かべながら近寄ってきた。
「どーも。小林といいます」
「佐伯光司です」
 一見すると、小林は普通の男に見えたが、よくよく見るとひとつだけ風変わりな所があった、というより風変わりな物を手に持っていた。
「あの、その長い棒は何です?」
「これですか? えへへへへ」
 小林は奇妙な笑いを浮かべると、その長い棒を目の前に差し出した。
 シャキン! 鋭い音がしたかと思うと、長い棒の先端からは鋭利な刃物が飛び出した。
「あの、仕込刀ですか?」
「ええ、僕の最近の自信作です」
「小林さんは何にでも刀を仕込みたがるんですね〜。これが」
 寺西教授が笑いながら言う。
「今度は刀を仕込む棒の軽量化に成功しました」
 やっぱりこれも超常現象調査会でいう、好きなテーマを研究するという事なのだろうか? 
 僕等は部屋の中央にある大きな長椅子に座り、寺西教授らと向い合った。
「まあ、あらためて紹介しましょう。佐伯さん、こちらが寺西教授、そして教授のゼミの研究生である小林君に寺戸さんです」
「研究生って、何の研究をされてるんですか?」
「まあ、後程お目にかけますが」
 寺西教授は眼鏡を拭きながらニタリと笑う。
「ここの超常現象調査会のテーマはですね、ズバリ、マッド・サイエンスという奴ですね」
「ま、マッド・サイエンス?」
「そうなんです」
「それってマッド・サイエンティストの事ですか?」
「そうです。我々の研究はマッドに始り、マッドに終わるんですね〜」
「人造人間キカイダーでも作るのですか?」
「おお! そんなのもいいですね。しかし少し違うんですよ」
 寺西教授は椅子から身を起こすと、部屋の奥の方に行き、何やら銀色に光る怪しげな機械を持ってきた。その機械を宙にかざしてニタリと笑う。
「それ、何です?」
「私の開発した、玉砕バスター1号です」
「玉砕バスター?」
 寺西教授は窓を開けると外に向って、機械の引き金を引いた。
 ドオオオオオンンンンンンン! という音が部屋に響き、物凄い勢いで炎が飛び出す。
 僕は椅子から飛び上がった。
「わあ! 何ですか? それは!」
「なかなか素晴らしい炎でしょう。私はこの炎が好きで好きで!」
 寺西教授はニコニコしながら言う。
「程度の低い妖怪くらいならイチコロです」
 田村刑事もニタニタしている。
「あの、じゃあその仕込刀も妖怪退治のためですか?」
「そうです。もっともあまり攻撃力はないですけど。さあて、次は何に仕込もうかな」
 小林はそう言うと、暖簾の棒のようなものを振り回している。
 一体、この人達は何なんだ? 僕は呆れかえった。
「佐伯さん、見て下さいよ。この炎の力強い事!」
 寺西教授は炎を見てうっとりしている。この人も大丈夫なのか?
「分った! 分りましたからもう、火を消して下さいよ!」
「いやそれがですね」
「何です?」
「火が止らなくなりました」
「ええー?」
 玉砕バスターから出る強力な炎は、さらに勢いを増していくので、慌てた小林がバケツに水をくんで持ってきた。
「水をかけますよ、いいですね?」
 僕はそれを受け取ると言った。
「できたら私は濡れたくないなあ」
「何、呑気な事をいっているんですか! 丸焼けになっちゃいますよ!」
 バケツの水をかけようとした時、突然、胡蝶が玉砕バスターに近づいていった。 「胡蝶、危ないぞ!」
『フッ!』
 胡蝶が息を吹きかけた途端、またたく間に玉砕バスターの火は消えてしまった。焦げ臭い匂いと燃料の匂いが入り交じって、部屋中に漂う。
「御協力に感謝します」
 寺西教授は胡蝶と握手すると、玉砕バスターを元の所に戻した。
「あの、お取込み中すみませんが」
「はい?」
 後ろを振り返ると、遺体を持ってきた警官が恨めしそうに立っていた。
「遺体の検死をお願いしたいのですが!」
「おお! これはすっかり忘れていた!」
 警官は軽く僕達を睨んでいる。
「では、解剖室にどうぞ」
 寺西教授に案内され、解剖室へと向う。僕は田村刑事と寺西教授に挟まれるような形で狭い廊下を歩く。
「解剖室って、いつも使ってるんですか?」
「いえ、鬼や妖怪に殺されたと思われる遺体が、運ばれてきた時だけです」
「ここで解剖してるって事は極秘でね。警察でも知らない人間が多いんだ」
 解剖室と書かれたプレートがついた部屋に入っていく。遺体は手術台のような所に静かに安置された。
「さて、では解剖を始めます」
 僕達も手術着を着て遺体を見守る。何秒間か遺体に向かって手を合せると、寺西教授は電気メスを取り出し、それを遺体の頭部に静かに持っていった。
「手術の道具もあるんですね」
魔神の武器 「解剖ですからね」
 寺西教授の持った電気メスがゆっくりと、遺体の頭部を切り裂こうとした瞬間、遺体に異変が起こり始めた!
「な、何だ?」
 突然、遺体は大きくうねり始め、電気ショックでも受けたかのように激しく痙攣を始めた。体のあちこちがギギギ、と不気味な音を立てている。
「馬鹿な!」
 寺西教授がそう叫んだ瞬間、遺体の目がカッと開かれた。
「寺西さん! 伏せろ!」
 田村刑事が瞬時に手術台に飛んでいき、寺西教授を引き倒す。
 ズバアアア! という轟音と同時に、遺体の口から真っ赤な光が一気に吹き出した。それが解剖室のライトを破壊する。ガシャアアン! という音と一緒に粉々になったレンズが飛び散った。次に遺体はゆっくりと起き上がり始めた。遺体はグオオ!と不気味な呻き声を上げると、僕の方を振り向いた。
「寺戸さん! 玉砕バスターを持ってくるんだ!」
 寺西教授が叫ぶ! 動き始めた遺体はさらに変形を始めていた。全身がメキメキと唸り段々と膨らんでいく。遺体は醜く歪んだ怪物と化していた。
 怪物は一気に手術台を蹴飛ばし、飛びかかってきた。
「うわああ!」
 僕は壁に押しつけられ、悲鳴を上げた。怪物の巨大な口が、僕を飲み込まんばかりに、何倍にも膨張した! その時、ドスッ! という音が怪物の背後で聞こえた。続いて胸の辺りから小型の刀が飛び出す。
「この化物め!」
 小林の刀が怪物の胴体を貫いていた。だが次の瞬間、怪物の首がグルッと回って小林の方を振り向いた!
「うわあ! そんな!」
 小林が横っ飛びに避けるのと、怪物の口から衝撃波が発射されるのが同時だった。
 ドシュウウンンン! と凄じい音がして、衝撃波は手術台を粉々に粉砕した。小林の刺した刀を胸部に突き立てたまま、怪物はなおも僕に迫ってくる。寺戸が両手に玉砕バスターを二基抱えて走ってきた。
「教授、持ってきました!」
「よし、こっちに投げろ!」
 寺戸から玉砕バスターを受け取ると、寺西教授と田村刑事は一斉に、放射口を怪物の方に向けて構えた。
「放射!」
 ドオオオンンンン! と猛烈な二条の火炎が怪物を襲う。 怪物はあっという間に炎に包まれ、悲鳴を上げた。
『グワアアアアア!』
 のたうちながら、怪物は僕とは反対方向に逃げていく。ガシャアアン! という音がしたかと思うと、怪物は窓ガラスを突き破り、そのまま地面に落下していった。ドスッ! という鈍い音が窓の下から響いた。部屋の中には玉砕バスターの燃料の匂いと、何かが焦げた匂いが漂う。すぐさま外に出てみると既に怪物はコンクリートの上で朽ち果てていた。玉砕バスターで焼かれたためか原形を殆どとどめていない。
「もう、死んでいますよね?」
「多分、大丈夫でしょう」
 僕は不意に吐き気を覚えた。
「うえっ」
「佐伯さん、大丈夫ですか?」
 僕は急いで建物の中に戻ると、洗面所に駆け込んだ。そのまま胃の中のものを全部吐き出してしまった。水道の蛇口を捻りながら考えた。
 今の化物は何なんだ? 皆な平気な顔をしてるなんて、どうかしている。
「大丈夫ですか?」
 振り向くと、そこには後藤氏がまりちゃんを連れて立っていた。
「私達もですね、始めは皆なゲーゲー、やっていました。慣れたのは最近です」
『じきに光司も慣れるわ』
 僕はキッとした顔をすると、大声で言った。
「じきに慣れる? 冗談じゃない! 超常現象調査会ってのは、毎日こんな事ばっかりやってるんですか? 皆などうかしてますよ!」
「ショックだったのは分ります」
「ショックなんてものじゃないですよ! 死ぬかと思ったのに! 京都に来て毎日、毎日、こんな事ばっかりだ!」
 その時、田村刑事が息せき切ってやってきた。
「後藤さん、大変です!」
「どうしました?」
「今、府警本部から連絡がありまして、東寺の五重の搭から大量の変死体が発見されたそうです!」
「大量の変死体?」
「ええ、寺の管理人が発見したそうです。何だか強烈な臭いが搭からするので、扉を開けてみたんだそうです」
「何人くらい、いたのかな?」
「二十人くらいだそうです」
「一般の観光客ですか?」
「いえ、寺の住職をはじめ高僧がたくさんいたそうです」
「東寺の関係者? 疾鬼にやられたのだろうか?」
「おそらくそうと思います。タクシーを呼んでいますから」
「了解しました。寺西君に玉砕バスターを人数分、用意するようにいって下さい。それと予備の燃料も」
「はい」
 田村刑事は走っていくと、そのまま寺西教授達と器材の用意をしている。僕はそれを茫然と見ていた。やがてタクシーが到着し、全員が車に乗り込んだ。平田刑事が僕を振り返って言った。
「あれ、佐伯さん。乗らないの?」
「僕は、やめておきます」
 僕は自分の荷物だけを持って、その場に立ちつくしていた。
「すみません。僕はもう、皆さんにはついていけそうにない」
『もう、帰っちゃうの?』
 まりちゃんが、タクシーのドアの所に手をかけて、大きな目で僕を見ている。
『一緒に色んな所で、遊ぶって言ったじゃない!』
「ごめん、やっぱり僕には無理だ。精神がついていけそうにない」
「佐伯さん、何もできないのは僕らでも一緒ですよ」
 小林が言った。
「僕が、京都を離れたらおそらく怪物達の動きも鈍るでしょう? その方がいいと思うんだ」
「でも、佐伯さん!」
「もう、やめましょう」
 後藤氏が小林をさえぎった。
「佐伯さんが自分で決めた事です。仕方ありません」
「それはそうだけど」
「すみません。皆なには助けてもらってばかりなのに」
「いや、気にしないで下さい。それと佐伯さん、もしも気が変わるような事があったら連絡を下さい。待っていますから」
「どうも」
 胡蝶に貰った封印のついた小刀を思い出す。
「胡蝶、これ返すよ」
『いいの、持っといて。どうせ・その武器は・光司にしか・扱えない』
「そうか、じゃあ記念に貰っとくよ」
『サヨナラ』
「ああ、さよなら」

 僕一人を残してタクシーは走り去っていった。僕は敢えてあの連中がこれからどんな事をするのか考えない事にした。考えると気になるからだ。自分とは世界が違い過ぎる、そう思った。
「これでいいんだ」
 そう一人で呟くと京大の門を出て、百万遍の角でタクシーをつかまえた。座席に乗り込むとフーッと溜め息をつく。しかし心の中には奇妙な疑問が頭をもたげてくる。
 これでいいんだろうか? これで本当にいいんだろうか?
「いや、いい筈だ」
 その疑問を押し殺すと、目を閉じた。再び目を開けた時、道路の端でキョロキョロしている少女を見つけた。タクシーに乗りたいらしいが、なかなかつかまらないようだ。闘いから逃げ出せた解放感からか、その子を乗せてやるように運転手に頼んだ。運転手は渋ってブツブツいっていたが、チップを払うと言うと、すぐにその子の前に車をとめた。
「あの、いいのですか?」
「どーぞ」
 運転手が面倒くさそうに言う。僕の横に座ると少女はニコッと微笑んだ。
「どこまで行くの?」
「おばさんちまでよ。お見舞にいくの」
 少女の年は八、九歳くらいだろうか? 年の割には妙にしっかりしている。
「偉いね」
 そう言うと、窓の方に顔を向けた。頭の中でこれからの事を考える。しかし次の瞬間、運転手の方からガスッ! という妙な音を聞く。
「あの、どうかしました?」
 そう言った途端、前の運転手は頭から血を流して、ハンドルにもたれかかっていた。
「ま、窓ガラスが割れてる?」
 コントロールを失ったタクシーは、一気に道の端の方にそれていく。気がついた時にはタクシーの天と地が逆になっていた。
「まさか!」
 ズガアアアアンンンン! 激しい衝撃が僕と少女を襲った。僕等を乗せたタクシーは横転しながら道路脇に突っ込んでいき、そのまま他の車に衝突して跳ね上がった。
 ドン! と鈍い音が響いて、タクシーは元の体勢に戻って止った。激しい衝撃で少女は気絶していた。腕を押さえながらドアを開けようとしたが、タクシーは全体が歪んでいてドアが開かない。
「どうなってんだ! こりゃ!」
『ケケケケ! 馬鹿な奴よ!』
「何?」
 不気味な声が響き渡る。その声は前で死んでいる筈の運転手の方から聞こえてきた。やがてその死体がメキメキと音を立てながら、変形を始める。
「うわああ! そんな!」
 突然、タクシーはキキキキキ! とタイヤから煙を上げると、猛スピードで暴走を始めた。
『佐伯光司よ! そう簡単に逃げられると思ったのか?』
「お前はさっきの?」
『先程、お前らが殺ったのはワシの分身だ。ワシらは人間を殺して、その死体に取り憑くのが専門でね。お前らが鞍馬山で死体を発見した時には、既にワシの分身が取り憑いておったのよ! ケケケケケ!』
 怪物は不気味な笑いを浮かべる。再び吐き気が襲ってくる。
「くそっ! 下ろせ!」
『そうはいかん! 疾鬼様の命令でねェ。まあ、ドライブを楽しもうじゃないか!』
 怪物はそう言うと、一気にアクセルを踏み込んだ。
「やめてくれえー!」
 怪物はますます調子に乗って、アクセルを踏みつける。タクシーは道路を飛び超えて歩道を走り始めた。怪物は遠慮なく、歩道の人間を跳ね飛ばしていく。
 たちまちフロントグラスが血で染っていく。
『ケケケ! これできさまも最期だ!』
 怪物はそう言うと、瞬時にその姿を消した! タクシーはそのまま猛スピードで走っていく!
「うわああ!」
 再び悲鳴を上げた時、タクシーは二条城の所まで来ていた。コントロールを失ったタクシーはそのまま二条城の堀の中に飛び込んでいった。
 ドオオオオオンンンンン! と巨大な水柱が上がり、タクシーは堀の中に沈んでいく。必死でドアを開けようとしたがドアはビクともしない。慌てて窓を開けようとしても、どうあがいても動かなかった。
『無駄な事だ。その車にはあちこちに封印がしてある!』
 怪物の声が水中にまで伝わってくる。
「キャアアアア!」
 佐伯の横で息を吹き返した少女が悲鳴を上げた。やがて車のあちこちから水が入ってきた。水が首の辺りまで来た時、僕は思わず心の中で叫んでいた。
 胡蝶、助けてくれ!
 だが、こんな所で呼んでも胡蝶の耳に届く筈がない。その時、自分の足下で青白く光る物体に気がついた。
「これは?」
 手に取って見ると、それは胡蝶がくれた小さな小刀だった。宝石のように輝いている。
「善界の武器、これなら何とかなるかも知れない!」
 そう思った時が水中に飲み込まれる寸前だった。少女が顔を歪ませて、絶望の表情をした。
「もう人が死ぬのは見たくないんだ!」
 そう叫ぶと僕は一気にその小刀の封印を引きちぎった! その瞬間、激しい光が僕の全身を覆う。続いて重々しい声がどこからか響いてきた。
[ワシの眠りを妨げる者は誰だ?]
「この声は!」
 声の主はどこかで僕を見つめているようだ。心の中の全てが伝わっていく感じだ。その声が、胡蝶のくれた武器に関係あると瞬時で悟った。
[誰だ? 善界と同じ気≠感じるぞ]
「助けてくれ! このままだと溺れ死んでしまう!」
[なるほど、近くで妖怪の邪気≠煌エじるわい。久しぶりにひと暴れしてやるか!]
 次の瞬間、その青い光は強烈に輝き始め、やがて僕の視界は真っ白な光で覆われた。
「うわああ!」
 ドオオオオオオンンンン!
 二条城の堀からは巨大な水柱が上がり、続いてタクシーの部品がバラバラになって、空中に舞った。
『な、何だ?』
 二条城の屋根に登って高見の見物を決め込んでいた怪物は、全身を激しく硬直させた。異常な程の妖気に全身が金縛りのようになっていた。爆発音と同時に僕は少女を脇に抱えて、堀の外に飛び出した。腕の中で少女はまたぐったりしている。
「大丈夫か? しっかりしろ!」
「…」
「ちくしょう! ちくしょう! こんな事しやがって!」
 怪物は後ずさりしながら、全身を震え上がらせた。
『ど、どうして逃げ出してこられたんだ?!』
[今だ! 小僧! 血の契約を果たせ!]
「うおおおおお!」
 僕は小刀を取り出すと自分の左腕に突き刺した! ドスッという音と共に大量の血が左腕から流れ、続いて青白い光線の渦に包まれた。
 キイインンン! と耳をつんざくような音と共に僕は左腕をまっすぐに伸ばしていた。やがて二本の物体が左腕を挟むようにして姿を現す。その物体は腕の先端まで来ると、ゆっくりとその身を起こし始めた。
 ゴゴゴゴゴゴコゴ! と軋む音と共に巨大な物体が縦に開いていく。
『あ、あれはまさか!』
 氷ついたようになってそれを見ていた怪物が呻いた。
 身を起こし始めた物体は、やがて一本になり、曲線を描いた棒のような形で、僕の手の平に納る。次に棒の上と下の先端が、物凄い勢いで伸び始めた。
「こ、これは」
 その物体は僕の身長以上の巨大な弓に変形していた。弓というよりは、その姿は巨大なコウモリが縦に羽を広げたようにも見える。
[い出よ! 鬼雷矢!]
 弓から声が発っせられると、激しい放電現象と共に目の前に光の矢が現れた。
[小僧! 射てーっ!]
 弓が叫んだ!
「うおおおおおおおーっ!」
 一気にその矢を引くと、怪物めがけて放った!
 矢はドギュウウウウウウウウウウウ! と唸りを立てて、スパークしながら怪物に襲いかかった。一閃した光が巨大な稲妻のように、辺りに広がってゆく!
『ひいい! 鬼雷の矢だあ〜!』
 一瞬、視界が真っ白になり、僕の体は弓を放った反動で吹き飛び、そのまま道路際に転がった。
『グワアアアアア!』
 どこか遠くで怪物の断末魔の声が聞こえた気がした。夢中で身を伏せて、爆風がおさまるのを待った。どの位たったのか? 僕はゆっくりと起き上がって辺りを見渡した。
「怪物は、どうなったんだ?」
[一瞬で消し飛んだよ]
「一瞬で?」
[あの建物を見てみろ]
「ああっ!」
 矢を放った二条城の屋根の辺りは、その殆どが吹き飛んでいた。瓦や白壁の残骸が転がる。
「たったの一撃で? 凄い」
[小僧、このワシを目覚めさせたのなら、分っておろうな?]
「分ってるよ。鬼芭王だろう?」
[鬼芭王だけじゃない。ありとあらゆる妖怪達がお前を狙ってくるぞ!]
「承知の上だ」
[小僧、また妖怪が現れたらいつでも呼ぶがいい。ワシはどこにいても現れてやる。ワシはきさまの血で生きていけるのよ! ケケケケ! せいぜいあがいて見るんだな!]
 巨大な弓は悪態をつくと、瞬時で左腕に消えた。
「うっ!」
 突然、左腕に激痛が襲ってきた。巨大なパワーを持つ弓を使ったせいなのか?
「なるほど、魔神の武器か」
 胡蝶の言った言葉を思い出していた。
 そうだ! さっきの女の子は?
 そう思って辺りを見回していると、たくさんのパトカーや救急車が二条城にかけ駆けつけてくるのが見えた。慌てて街路樹に身を隠す。
「どないしたんや? これは!」
「城の塀が無茶苦茶やんか!」
「おい! 女の子が倒れてるで!」
「まだ息があるで! すぐに連れていったりいな!」
 救急隊員達は少女をタンカに乗せると酸素マスクを被せ、救急車に収容して走り去った。後には大勢の警官が右往左往している。僕は祈るような気持ちでそれを見送った。
 痛む左腕を押さえながら、通りを走っているタクシーをつかまえ、座席に倒れ込んだ。運転手が怪訝な顔で行き先を問う。
「すみません、京都駅。いや、東寺までやって下さい」
 僕はそれだけ言うと、たちまち眠りに落ちた。

 僕は夢を見ていた。それは善界の夢だった。大勢の妖怪や鬼達が手当たり次第に人を殺していく記憶、破戒僧として寺から追放された記憶、胡蝶と出会って闘った記憶、妻と娘が殺された記憶、善界の弓が妖怪達を引き裂いていく記憶、そして鬼芭王との決戦の記憶、自分の肉体が最期を告げる時、その体は舎利へと変わっていった。
 僕も死んだら舎利になるのか? 夢の中でそう思った。恐ろしい鬼芭王に勝てるのだろうか? 善界はどこで秘教の奥義を得たのだろうか?
 ふと夢から覚め、驚いて辺りを見渡すとそこは後藤屋だった。
「あれ、ここは後藤屋だ」
『気がついた?』
 そばにはまりちゃんが立っていた。大きな丸い目で僕を見つめている。
「また、戻って来ちゃったよ」
『じゃあ、また一緒に遊べるね!』
「ああ」
 このまりちゃんはどんな力を持っているんだろう? 今までこの子が闘っている姿を見た事がない。やっぱり胡蝶のようなものなのだろうか? まりちゃんは両手を広げてじっと僕を見つめている。何か言いたげな顔をしている。
「な、何だい?」
『何か頂戴!』
「へっ?」
『何か欲しい! 頂戴!』
「ちょ、頂戴って」
「ハハハハ! それはまりちゃんの口グセなんです」
 気がつくと後藤氏が部屋の中に入って来ていた。肩には胡蝶が乗っている。
「まりちゃんは人に慣れると、すぐにおねだりを始めるんですよ」
 後藤氏は何事もなかったかのような顔をして、そう言った。
「あの、僕はどうして?」
「我々が東寺に行って暫くすると、あなたがタクシーに乗って運ばれてきたのをまりちゃんが見つけたんです。よく寝ていたので、ここまで運んできたのです。まさかたったの三十分で戻ってくるとは思わなかった! 世の中分らないものですねー! ハッハッハッハッ!」
 後藤氏は大声で笑う。
「クククク!」
 いつしか僕も一緒に笑い出していた。運命とは皮肉なものだ。そう思った。
「ところで、東寺の状態はどうでしたか?」
「バスターが必要かと思ったら、既に東寺には何もいなかったようです。だから死体の処理だけ済まして来ました」
「やっぱり疾鬼に殺された死体だったのですか?」
「そうだと思います。骨と皮だけの死体で、酷いものでした」
「僕が最初、東寺に行った時、搭から血が流れているのを見ました。幻覚かと思ったのですが、きっとあの血は殺された僧達のものだったんですね?」
「ええ、そしてその死体は赤雲が喰らっていた」
 胡蝶がそばに舞い降りてきた。
『光司・あの武器を・使ったのね』
「ああ、スカッとしたよ。疾鬼の手下が一撃で吹き飛んだ」
『あれは・「人鬼」・と言って、死体に・とりつく・鬼なの。あまり強くは・ないけど・けっこう・しつこいわ』
「奴に今度はドライブにも誘われたよ。二条城までエスコートして貰った」
 その晩は超常現象調査会お決まりの宴会を行う事になった。とうとう、鬼芭王と闘う運命となってしまったが、不思議と絶望感はなかった。かえってふっ切れたのかも知れない。逆に生きている実感が湧いてくるような気がした。他の連中もそうなのかも知れない。
 しかしその頃、京都中の妖怪や疾鬼の手下どもが、発狂したように夜空を飛んでいた。その醜い目を血走らせながら、僕達を探していたのだ。僕が善界の弓の封印を解いた事、それは予想通り妖怪達を招き寄せる結果となってしまった。弓から発せられる異常な妖気は、妖怪達を狂わせる。妖怪達はそれを合言葉のように叫びながら荒れ狂っていた。
『破壊せよ!』
『我等には破壊あるのみ!』
『善界の弓を!』
『佐伯光司を!』
『裏切り者の蘭火を!』
『破壊せよ!』
『探し出せ!』
『必ず探し出せ!』
『鬼芭王様の復活を邪魔する者は!』
『破壊せよ!』
『破壊せよ!』
 妖怪達は夜空をのたうちながら、善界の弓と僕を探していたのだ。
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