目を覚ますと、再び列車の中だった。しかし今回は何と新幹線の二階建てのグリーン車である。貧乏自慢の自分が、かつて一度も乗った事がない車両だ。勿論、火川神社崇敬会のおかげだが、あれだけの戦いをしておきながら、こんな小さな事で喜ぶ自分を、つくづく小市民だと思ってしまう。超能力を持ったとしても、基本的には変わらないんだなあ…、人間って。
胡蝶を膝に抱き、窓の外の景色を見ながら、そう心の中で呟いた。
今朝、気が付いて見ると、火川神社には林田とことだま、そして胡蝶しかいなかった。後藤氏たちは「面白いもの(新兵器)を見せてあげます。林田君と横浜まで来てね」と書き置きを残して、先に旅立ってしまっていた。
そこで急いで奈良に別れをつげ、東京行きの新幹線に乗ったのだ。どうやら連中は向こうで僕を驚かす準備をしているらしい。
隣でアニメソングをウォークマンで聴いている林田に聞いても、新兵器の事は教えてくれなかった。彼は絶対何かを知っているはずだ。
「まあまあ、佐伯さん。草加センベイでもどうです?」
とか言ってはぐらかすのである。勿論、後藤氏のいつものイタズラなのだろうが。一体、どんな新兵器が待っているというのだろうか?
林田に無理に質問をするのをやめ、彼の差し出した草加センベイをバリッ、と食べて再び座席に座り直した。
新横浜駅には昼過ぎくらいについた。そういえば後藤氏たちの本拠地は横浜と聞いていたが、実は今まで行った事もなかった。
駅を出てすぐタクシーに乗り、大きな通りを真っ直ぐに走った。
「ねぇ、林田さーん、皆な先に着いて何やってるの?」
「ははは、最終調整でしょうか?」
「最終調整? 新兵器の?」
「それはヒ・ミ・ツ!」
やがて、三十分程でタクシーは横浜港に着いた。そこで車を降りる。
「あの、ここどこ?」
「山下公園の辺りです」
「はあ…」
大型の貨物船や、客船が行き交う様子を見ながら、海沿いに歩く。至るところに街路樹が植えられ、異国を思わせるような銅像が立っていた。散歩するにはうってつけの場所だ。
林田がフランス山公園の先の倉庫街の一角にある小さな建物を指差した。
「あそこから入るの?」
「そうです。階段を下ります」
近寄って見ると、そこは普通の一軒家のようだった。色々な倉庫に周囲を囲まれ、その中に埋もれるようにして建っている感じである。欧風(後藤氏によれば北ドイツ風だそうだ)の建物…壁には木の梁が模様のように浮き出している。芸術家のアトリエのような感じだ。洒落たまんじくずし模様のヨーロッパ風の金属扉を開けて中に入る。足下を見ると、そこからは玄関まで石畳になっていた。そう、小さな西洋館といった方がピッタリくるかも知れない。
「いい家ですねぇ」
「我々は提督の家と呼んでいます」
「提督の家、何で?」
「そのうち分ります」
林田は鍵を取りだし、それを玄関のノブにゴトッ、と差し込んだ。それは普通の鍵とは違い、複雑な形をした妙な鍵だった。やがて軽い電子音とともに、そのドアが開く。
「何か厳重なんですね」
「防犯装置も付いていますから」
玄関の扉を開けると、中は思ったより普通の感じの家だった。どこにでもありそうな住宅といったところか。普通に座敷の部屋があり、洋間があり、台所とリビングルームがあり、テレビやステレオも付いている。ついさっきまで、どこかの家族が住んでいたような感じだ。何か食料を買ってくれば、すぐにでも生活ができそうだ。
「ここ、誰か住んでる訳?」
「実はここはですね。超常現象調査会の横浜鎮守府なんです。通称が提督の家」
「はああ?」
「さて、では地下に行きましょう」
「地下へ?」
林田はニッコリとすると、リビングの床を開いた。さらにそこに出現した金属の取っ手を持ち、それを左右に開いた。下には階段が続いている。面白い事に、扉の開閉に反応して電気が点いた。
「さ、どうぞ」
勧められ、おそるおそる階段を降りて行った。下からはヒンヤリとした空気が伝わって来る。階段の天井や床、壁にまで小さなランプがついており、まるで特撮映画を思わせた。
やがて、五分くらい下った時だろうか? 目の前には巨大なドーム型の空間が開けた。天井には幾つものライトがついており、それがドーム中を明るく照していた。その天井には、様々な大きさの鉄骨が組み合わされ、どんな重量でも耐えられそうになっていた。おそらくあの上に、さっきの家が乗っかっているのだろう。
「でっかいドームだなあ!」
ざっと見た感じでも二百メートルはあるだろうか? まるで巨大な体育館に入ったような感じだ。
しかし一体、何のために? コンクリートの床の部分からは、大きな棧橋が伸びていた。
水面にはキラキラと天井のライトの光が反射していた。人差し指を伸ばして、その水を舐めてみた。
「これ、海水だ…」
「さて、ではそろそろ本番行きましょう!」
林田が手を大きく叩いた。すると、一体何が起こるのだろうか? 不意にその水面下からズズズズ…といった機械音が聞こえてきたのだ。
「な、何です、何が起こるんです?」
「佐伯さん、これが私たちの新兵器です、とくとご覧あれ!」
林田はまるでショーの解説者のように手を大きくふる。
「し、新兵器」
「そうです、聞いて驚け、見て腰抜かせ、これはもう我々の傑作です!」
「なな、何なんだ?」
そう言っている間にも、その機械音はどんどん大きくなってくる。やがて、水面に巨大な影が現れた。葉巻型というのだろうか? いや、何だかクジラのような形にも見える。
続いてその黒い影から、幾条もの光が水面に伸び出した。
ゴゴゴゴゴ!
その音はますます大きくなってくる。
「は、林田さん。まさかこれ!」
「そう、そのまさかです!」
天井のスピーカーから突如、伊福部昭の海底軍艦のテーマが鳴り響いた。
その音楽と同時に、巨大な物体が水面に踊り出た。まず、潜水艦のセイルがニョッキリと顔を出す。それは一見、サメの背ビレのように見えた。そして、巨大な水しぶきを上げながら、本体が姿を現わす!
ドドドド!
潜水艦が浮上した勢いで、プールの波はあれ狂い、あっという間にこっちまで水びたしになる。飛び出してきた物体があまりに巨大だったので、はっきり言って腰を抜かしてしまった。突然、巨大なクジラが目の前に現れたような感じだったのだ。
「うわあああ!」
悲鳴を上げて、ことだまと抱き合う。
「こ、こりゃあ…一体!」
そう、目の前に飛び出したのは潜水艦だったのだ。それも米軍や自衛隊のそれとは全く違う形をした灰色の潜水艦なのだ。
でかい! 全長何十メートルあるのだろうか。
面白い事に、艦首には恐そうな睨みつけるような目がついており、それが何となく可愛く思えた。
潜水艦にもスピーカーが付いているらしく、後藤氏の声が聞こえてきた。
いつもより何倍もトーンが上がっている。よっぽどこっちが腰を抜かしたのが面白かったのだろう。
「あーあー、こちら後藤です。佐伯さん、お元気ですか? あなたが驚いてくれて私は本当に嬉しい!」
僕も大声で叫び返した。
「ああ元気ですよ。ところで一体誰がこんな非常識な物を作ったんですか! こりゃあ、前のオデッサ号の比じゃない!」
「あーあー。作ったのは私です。というか、設計は私ですねー」
聞き覚えのある関西風イントネーションの声が流れてきた。
「あ、もしかして寺西教授」
「ピンポーン、そーです。私なんですねー」
その声とともに、潜水艦の上部にあるハッチが静かに開いた。中からは見覚えのある懐かしい顔が続々と現れた。
「嘘だろ? 寺西教授に寺戸さん、小林さんに平田刑事じゃないか! 皆なここに来ていたのか?」
うれしいことには京都で一緒に活躍していた全員が揃っていた。
「ヤッホー、佐伯さん!」
寺戸がピースサインをこっちに送っている。暖簾刀の小林が「新米屋」と書かれた大きな暖簾刀を振り回していた。
やがて、全員が潜水艦から降り、目の前にズラリと整列した。見ると全員、ネイビーブルーの洒落た感じのパーカーを着ている。そして、その中には僕の見知らぬメンバーも混じっていた。
「あの、何です? その服」
「これは我々、超常現象調査会海軍部の新しいユニフォームですよ」
ドイツの海軍提督の制帽をうれしそうに被った後藤氏が説明した。
「ユニフォーム?」
「勿論、佐伯さんの分もあります。それより着替えたら? ビショビショだろ?」
田村刑事が笑って言った。
「あの、どうして皆なこんなところに?」
「実はですね。我々は昨夜までこの潜水艦の性能テストをしたり、色々と機械の最終調整を行なっていたんです。そして今日が初めての潜水テストだったんですよ」
寺西教授が嬉しそうに言った。後藤氏が後に続く。
「この潜水艦はですね、前のオデッサ号よりも、ずっと前から寺西教授たちと作っていものです。あのオデッサ号は、実はこの潜水艦に乗せるはずだったんですよ」
「でも、こんなでかい物、どこで作ったんです?」「私の在郷軍人会の知り合いがですね、造船会社ををやっているんです。そこの造船所で極秘に作らせて貰いました。一応、全体ができ上がった後、ここまで船で曳航したのです。勿論、細かい艤装はこの基地でも行いました」
この基地が提督の家と呼ばれる理由がやっと分った。上の家は北ドイツのUボート艦隊の司令官デーニッツ提督の家を模して作ったのだそうだ。そしてその下は巨大潜水艦の秘密基地という訳だ。
「いやあ、この潜水艦を完成させるのは苦労しました。色んな最新鋭の軍事メカが揃ってるでしょ? 初めの扱いが難しくて」
そうは言いながらも、寺西教授は嬉しそうである。それにしても、こんな物を作る費用はどうしたのだろうか?
「これも後藤さんの趣味ですか?」
「とんでもない、幾ら私でも一人でこんなのは無理ですよ」
後藤氏は顔をしかめて手を左右に振った。
「これはですね。我が超常現象調査会と、そして火川神社崇敬会と、そして私たちの色んな軍事ネットワークを介してできた究極の兵器なんですよ。
費用に関しては火川神社崇敬会と私のところと、それに防衛問題に理解がある某経済団体の機密支援も少々」
「ひええ、火川神社と超常現象調査会と日本兵器産業界の合作かぁ!」
「私の父もこんな遊びは大好きで。『例のオモチャはできたか?』といつも言っていました」
林田が眼鏡の奥でニコニコする。
「オモチャですか…」
「そう。これは私達の昔からの夢だったんです、それがかなって私は嬉しい!」
後藤提督は調子よくステップを踏むと、潜水艦のタラップを愛しげになでまわした。
「でもやっぱり信じられない。こんな物が存在するなんて、後藤さん。一体、あなたは何者なんですか?」
「ははは、私はただの、夢想家のハンドバッグ屋です」
「これが、ただのハンドバッグ屋のすることですか、民間人が潜水艦を持つなんて!」
「はっはっはっ、佐伯さん。これはきっと夢なんですよ」
「へっ?」
「そう、これは単なる夢なんだ」
田村刑事が肩に手を置いて言う。
「ゆ、夢?」
「そう…夢、夢と思えば何だって恐くない」
「あれもこれも…皆な夢?」
「そうだ、夢なんだ。こんな物が現実に存在するはずがないじゃないか」
「ちゃんと、存在してるってば。ところで後藤さん、気になる事があるんですが」
「何でしょう?」
「この潜水艦の動力源は何ですか?」
「ゴム動力です」
「こんな物がゴムで動きますか! もしかして…原子力じゃないでしょうね」
そう僕が言うと、後藤氏は急に向きを変え、スタスタと向こうに歩いて行こうとした。
「後藤さん、逃げないで下さい! やっぱり原子力なんですね?」
「まあまあ佐伯君、原子力でも夢だと思えば」
「思えますか! 全くもう、皆なこんな危険な物を作ってヘラヘラ笑わないで下さいよ」
「実は新開発の対消滅エンジンとか言っても信用しないでしょうね」
「しません!」
とうとうこの潜水艦の事が分ってしまった。そう、何とエンジンがあの原子力なのだ。そりゃあ、原子力潜水艦なんて今はそう珍しいものでもないけど、しかし、これが民間人が持つとなると話は別だ。世間にバレたら大変な事になる。もっともこの連中は、半分は民間人、後の半分は公務員の人といった感じだが。
「では皆さん、万歳しましょう、それバンザーイ!」
林田が音頭を取り、全員が万歳を唱和した。
「バンザーイ!」
「超常現象調査会海軍部、バンザーイ!」
「バンザーイ!」
「ほとんど、アホでちゅ…」
ことだまが呆れ顔で言った。
自分も苦笑しながらも、改めてその潜水艦を見上げた。原潜というよりは、さしずめ巨大な戦争中のUボートといったデザインだ。
僕たちは潜水艦の中に入り、シャワーを浴びて制服に着替えた。それから会議室と称する部屋に入り、全員でテーブルを囲んだ。後藤氏が勉強会をするというのだ。
会議室に入ってきた後藤氏はドイツ海軍のような制服を着て、もはや有頂点のようだった。そりゃあ、夢がかなったのはいい事だけど。この人の場合、夢のかなえ方が常軌を逸している。
「さて皆さん、とうとう我が超常現象調査会海軍部もご覧の通りの大所帯となってしまいました。という訳で、まだ面識のない人もいるでしょうから、適当に自己紹介をしあって下さい」
各自が互いに頭を下げ、挨拶大会となったところで、一人の眼鏡の女性が後藤氏と並んで目の前にやってきた。
「始めまして、弥生といいます」
「あっ、どうも」
「弥生さんはですね。田村君の奥さんなのですよ。この潜水艦の中では、機関室のチェックをやって貰う予定です」
「どうも宜しく」
奥さんのことを田村刑事から聞いたことはなかったが、小柄で控えめな感じの清楚な女性だった。
彼女は、夫の田村刑事からあれこれとエンジン関係の説明を受けていた。いやはや…それにしても、いつから超常現象調査会はこんな大人数になったのだろう。半年前までは細々とやっていた感じだったのに。
全員の挨拶が一通り終わった後、再びテーブルを囲んだ。今度は寺西教授が講師となり、スライド上映を始めた。しかし、本当に白衣の似合うマッドサイエンティストである。
「えーでは。我等の新型兵器について説明したいと思います」
「よっ、寺西さん、日本一!」
「日本一、マッドな男!」
小林が口笛を吹いて囃した。両手を広げてまあまあ、と全員をおさえる寺西教授。
「では説明させて頂きます。まりちゃん、スライド宜しくね」
「いつでもOKよ!」
まりちゃんがスライドのボタンを握り、手を振った。
「えーでは、まずですね。新兵器の全体図について」
教授がそう言うと、さっきの潜水艦が白い画面に映し出された。
「全体のデザイン、これはもう色んな好みがあった訳ですが。基本として、後藤さんの趣味で大戦末期に作られたドイツの最終生産型Uボートを大きくしたような形になりました」
「その通り。私は戦勝国のデザインは嫌いです」
後藤氏がきっぱり言った。
「オデッサというのは伊達ではありません。この形は我々に相応しいと思いますよ」
「なるほど、それでオデッサシャークという訳ですか!」
「これからは、こいつをシャークと呼びましょう」
後藤氏が大いに不服そうに言った。
「え? シャーク? 英語ですか? ドイツ語でハイ(鮫、もしくはフカ)がいいなぁ」
「ハイ、ハイ、ハイ。後藤さん以外誰も意味が分かりませんよ」
「では正式名称オデッサハイ、通称シャークということで」
寺西教授がとりなした。
「それ賛成!」
みんなが賛成の声をあげた。
後藤氏はまだひとりでブツブツ言っている。
「さて、この形の事ですが…」
教授が続ける。
「潜航中はですね、各安定板が中に引っ込むようになっています。勿論、全部ではありませんが、余計な水の抵抗を作らないためにもこうしております」
さらにこのサメ君の様々な性能が寺西教授から説明され、この驚くべき潜水艦の全スペックが明らかになった。
型 式 攻撃型原子力潜水艦
名 称 オデッサシャーク(独語名ODESSAーHAI)
全 長 百メートル
主機関 原子力エンジン
馬 力 三十万馬力
総排水量 一万トン
最高潜水深度 理論上では八〜九百メートル
水中最大速度 九十ノット
主な材質 特殊チタニウム
武 器 小型ミサイルランチャー・空中魚雷・水中魚雷・
オデッサビーム・新玉砕バスター(改造ブラスター)
これらのデーターを見た時、全員がふぅ! とうなった。
「後藤さん、何だか凄いですねえ、なぜ九十ノットも出るようにしたんですか?」
「その理由は簡単です、佐伯さんが心配されている通りです」
「えっ?」
「佐伯さんがおっしゃる通り、確かに我々がこんな潜水艦を持っている事がバレたら一大事です。この潜水艦は、まだ世界が実用化していない技術さえも搭載しています。現代では世界中、どこの国でもこうした目には見えない兵器の存在を非常に恐れていますし、海中にいる潜水艦を探す事にしのぎを削っている訳ですよ。佐伯さんも核ミサイルを搭載した潜水艦の恐ろしさは聞いた事があるでしょう?」
「ええ、ポラリス型原潜とかですね」
「我々は核は持ちませんがね。ただ海の中を航行中、どうしても色んな物に追いかけられる時もあるでしょう。その時はどうしても逃げなければいけません。だからなるべく速く、そしてなるべく深く潜る必要があるのです。
そのうえ強力なアクティブ・パッシブソナーだって搭載していますよ。またVFL(超長波)による航法システムも持っています。もっともこれは米海軍のシステムの無断借用ですがね」
「へええ」
「それに、あの阿修羅と戦う事になったら、これくらいの兵器は必要でしょう。今度は奴らの見えないところから攻撃もできます」
「そりゃ凄い!」
田村刑事が続けて言った。
「さらに面白い事に、この潜水艦にはスクリューがないんだ」
「えっ、じゃあ、どうやって走るの?」
「ふふ、そこがこのオデッサシャークの、他の潜水艦と違うところなのさ。スクリューの変わりに超伝導コイルが作り出した磁場と海水の反発で推進するようになっている。これだと推進効率が良いし、スクリューのキャビテーションノイズ(高速で回転するプロペラから発生する泡が潰れて発生する音)もない。潜水艦の最大の雑音源はスクリュー音だからね。これだと他の潜水艦に感づかれる事も少ない」
「なるほど、自分で押し出していく訳ですか?」
「そういう事。面白そうだろ?」
確かに素晴らしい機能を持った潜水艦だ。これならあの阿修羅にも一矢、報いてやる事ができるかも知れない。同じ劫火を喰らうにしても、潜ってしまえばいいのだ。
「さあ、ではそろそろ本格的な潜航と行きましょう! 総員、配置につけ!」
後藤氏が言うと、各自がいっせいに集中コントロール室に向った。慌てて後に続く。
ただ田村刑事と、弥生、平田刑事は、廊下の途中から違う方向に走って行った。どうやら配置場所が違うらしい。
狭い廊下を走ると、足下でカンカンと、軽い金属音が響く。遠ざかって行く田村刑事に叫んだ。
「田村さーん、僕は何をすればいいんですか?」
「ああ、そうだな。君は空いた席に座っててくれ!」
田村刑事は振り返りながら叫んだ。
各自がコントロール室に入り、それぞれが自分の持ち場に座ったようだ。僕と胡蝶と、ことだまだけ、違う椅子に座った。ざっと見た感じでは、後藤提督(自称)が司令、寺西教授が副司令、まりちゃんが艦長、林田が航海長、玲子が各計器類を受け持つ航海士、小林がレーダー(ソーナー)係、寺戸がコンピューターのオペレーター、となっているようだった。皆な必死で勉強したのだろう、様々な機械や計器類が並んでいるが、さっぱり訳が分らない。見ると頭が痛くなってきそうだ。そして重要な機関室には田村刑事が機関長となり、それに平田刑事と弥生さんがついた。
「よし、では潜航開始!」
「了解。ベント開け、深度一〇〇。玲子、現在深度を報告せよ」
「ええ…じゃない、了解。深度三〇、四〇…五〇!」
「よし、ネガチブブロー!」
ネガチブブローとは、沈下速度を早めるネガチブタンクから排水することだ。浮上中に満水にしておき、潜航深度の手前で排水すると丁度良い具合になる。林田は排水が終わると「ブロー止め」と機関室に伝えた。
集中コントロール室にはたくさんの耐水の小さな窓が付いており、潜航していくようがよく分った。そして後藤氏と寺西教授が座っている座席の頭上には、巨大なメインスクリーンが付いており、そこに艦内の各部の様子や、周囲の海の様子が鮮やかに映し出されていた。
「深度一〇〇で安定しました」
玲子がやや緊張した声で報告すると、艦内が軽い興奮と緊張に包まれた。
「林田さん、巡航速度で航行して下さい」
マイクを通して田村刑事の声が聞こえた。
「了解、両舷前進微そーくっ」
林田がレバーを動かすと、機関室に伝達された。そして船尾の尾ヒレの下に二つ付いている、超伝導推進機の周りで水流が発生し始めた。巨大な灰色ザメが東京湾を潜航して行く。この光景は外から見ると、どんな風に見えただろうか?
その後、オデッサシャーク号は速度を上げ、巡航の六〇ノットに達した。簡単に六〇ノットというけれど、時速になおすと約一一〇キロというスピードになる。もっとも、寺西教授からの受け売りだけど。
「現在速度六〇ノット、異常無し!」
「小林さん、レーダーに何か反応があったら、すぐに知らせて下さい」
「了解、今のところ、異常無し!」
小林はニコニコとした表情で、レーダーを眺めた。どうも彼もワクワクしているようだ。
やれやれ、これでは自分の出る幕ではないなあ。そう思っていると、ことだまが肩をつつく。そして人差し指を別の方向に向けた。
「仕事はちゃんとありまちゅ!」
「えっ、どこに?」
ことだまに手を引っ張られ、連れて行かれたところは広いキッチンだった。
「あの、もしかして…」
「そう、そのもしかしてでちゅ。頑張りまちょうね!」
ことだまがフリルの付いた可愛いエプロンを、僕の体に勝手に付けた。暫く眺めていたが、胡蝶と一緒にケタケタと笑い出した。
「気持ち悪いでちゅ!」
自分が勝手にエプロンをつけたくせに、笑うとは何て奴だ。
やれやれ、こんなところで又、おさんどんかぁ…。場所は変わってもやる事は変わらないなあ。
そう思いながらも、炊事班長佐伯一水(自称)は包丁でジャガイモの皮を剥いた。
それから一時間くらいして、実演の第一段階が終了という事で、休憩時間となった。 オデッサシャークは海面に浮上し、巨大なセールを空に向って突き出していた。
どうやら外海に出たらしい。海面の色が湾内より深い色になっている。
皆なと士官食堂で乾杯をし、自分だけシャンパンの入ったグラスを持って外に出て見た。
小さなデッキの上に椅子を置き、アクビをしながら座る。膝には胡蝶が座っていた。
『ネェ…』
今は何も知らない無邪気な胡蝶が語りかけてくる。
「ん?」
『これから・どこに・行くの?』
「さあ、よく分らないよ。でも、とうぶんは退屈しなくてすみそうだ」
『そうね・楽しそうだもんね』
胡蝶は嬉しそうにクスリと笑った。
本当に、これから一体どうなるのか。全く分らなかった。あの凶悪な阿修羅と威追、それにまりちゃんの宿敵のブラックマリー、そしてただ利用されているだけの迷企羅神、いずれの敵とも、いつかは決着をつけねばならないのだ。色んな思いが、次々と胸の中に現れては消えて行った。しかし、悩んでも仕方がない。結局はなるようにしかならないのだ。
そう思って、ふと海面を見ると、不思議な光景を見た。海面に桜の花びらが舞い降りてきているのだ。一体、どこから落ちてくるのだろうか…無数の桜の花びらが、ゆらりゆらりと揺れながら海面に舞い広がって行く。
「まさか夢じゃないよな」
僕は慌てて椅子から立ち上がり、目をこらして何度も見た。それは確かに桜の花びらだった。あの吉野山で見たのと同じ…。
「吉野天女…」
そう呟いて、奈良のある西を向いてみた。もしや、ここまで天女が来てくれたのだろうか?それとも、この花びらは吉野山から? それはどっちでもいい、できれば天女に姿を現わして欲しかった。
しかし、辺りにはただ桜の花びらが陽光を受けて、きらきら舞うばかりだった。波間にゆれるオデッサシャークの上に無数の花びらが降り積もって行く。それはこの世のものとは思えない、不思議な光景だった。
目の前に降る花びらに、僕は天女の面影を見たような気がした。
サイキック・ドール シリーズ2
まりちゃんの大冒険第二話 阿修羅大戦「奈良の章」
一九九六年八月三日 第一版発行
著 者 草子洗
発行者 後藤まり子
発行所 すーぱーがーる・カンパニー
編 者 田村機関
(C)Soushiarai 1996 Printed in Japan
乱丁・落丁は貴重ですので、大切に保存しておいて下さい。
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