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プロローグ
 福岡県芦屋町の火川神社にて…。

「これは、一体どうした事だ!」
 突然の出来事に、初老の宮司は、額に冷や汗を浮かべ目の前の光景に凍りついた。
 御神体が焼けている…。凛とした社殿の空気が、一層張り詰めたように思われた。
 それは昨日までここにちゃんと奉祀されてあったが、今は無残にも黒々と焼け焦げているのだ。しかも焼けているのは御神体だけで、幣帛や神饌は何事もなかったかのように整然と並んだままである。
 宮司はおそるおそる、焼けた御神体を手に取った。
「信じられん、この焼け方は外から火をつけた訳でもなさそうだ」
 社殿を出ると、宮司は娘の玲子を呼んだ。
「玲子! 玲子はどこだ!」
「お父様、そんなに大声を出されなくても私はここにいます」
 黒く長い髪を後ろでまとめ、緋袴姿の玲子が大きな黒い瞳をパチクリさせながら、社務所の奥から現れた。この神社の筆頭巫女である。
「おお、玲子。とにかく大変だ。大変だったら大変だ!」
「何がどのくらい、大変なのですか?」
「ご、ご、御神体が焼けてしまっているのだ!」
「何ですって!!」
 慌てて玲子は社殿の中に入り、大床に著座すると、丁寧に深揄をした。この様な状況下でも作法は忘れない。玲子は神座の方へ顔を向け焼け焦げて割れてしまった御神体を見つめた。
「これは…。普通の燃え方ではありませんわ。内部から自然に発火したみたい」
「さっぱり訳が分らんのだ。何か悪い知らせだろうか?」
「お父様、私占ってみます」
 そう言うと玲子は、丁重に白布で御神体を包み、うやうやしく社殿から徹下すると、神楽殿へと入って行った。神託という占いを行うためである。
「頼むぞ、玲子…」
 娘の後ろ姿を見送りながら神職は、深いため息をついた。よもやこんな事が起ころうとは。

 「何であれ、これは一大事だ。よし、あいつに相談してみるか。こういった事にはうってつけの奴がおったわい!」
 頭に何か閃いたのか、宮司はそそくさと社務所に入ると電話の短縮ボタンを押した。

「お兄様、占いをしますよ!」
 突然、玲子が神職控室に入って来たので、兄の尚修はビクッとした。尚修は慌てて、しかし慎重に手元にあったジグソーパズルを浅黄の袴の下に隠した。眼鏡の奥で一応、微笑んでみせる。
「う、占い? 何かあったのか?」
「大変なの、御神体が焼けてしまったのよ。きっと何かが起こる前兆なのよ!」 「うむ、それは一大事だ。玲子は先に行ってなさい、私は後から行く!」
「どうして今すぐじゃ駄目なの? 一大事と言うのに!」
「えっ? いや、あの、別に…」
 妹に鋭く追及され、兄の顔色が変る。
「お兄様、その袴の下に隠した物を見せなさい」
 妹はしっかりと見ていたのだ。
「い、いや、これは見せるほどのものでは…」
「いいから見せなさい!」
「ああっ、ご無体な〜!」
 妹が兄の袴を思いっきりめくると、中からはアニメキャラクターのジグソーパズルがバラバラと飛び出してきた。絶叫する兄。
「ああー!、何て事をするんだ。あと三ピースで完成だったのにぃ!」
プロローグ 「お兄様、いい年してアニメの女の子のパズルをやるのはやめて下さい!」
「やめないも〜ん。これは私の生きがいなのだ!」
「胸張っていうようなことですか!」
 しっかり者の妹は、ジタバタする兄の襟首を掴み、廊下を引きずって行った。

 神楽殿に入ると、玲子は白衣と緋袴の上に「千早」と呼ばれる巫女装束を着装した。これが巫女の正装である。尚修も「狩衣」と呼ばれる装束を着装する。
 玲子が鏡と祭具を用意をしている横から、尚修が口をとんがらせて言った。
「玲子、御神体が燃えたのは誰かの悪戯じゃなのか?」
「いいえ、あれはきっと何かの前兆なのよ。それにもし、他に原因がないとしたら、疑われるのはお兄様よ」
「何で?」
「この間も、アニメキャラの人形を社殿に奉納してお父様に怒られたでしょ? その時の御祭神の『お怒り』じゃないかって思われるかもよ」
「げっ、そりゃないよ、玲子。お前だって何だかんだ言いながら…」
「お黙り!」
「はぃ…」
 妹の剣幕に兄はシュンとなった。

 尚修が祭祀の始まりを告げる祝詞、「祓詞」を奏上し終わると、早速玲子が神託を始める。先程の御神体も、「案」という祭祀用の机の上に置き、じっと目をつぶって念を込めた。
「掛介麻久母畏伎、産土大神乃大前爾、巫女、林田玲子、恐美恐美母白左久。此度乃枉事乃源乎導伎給閉登…」
 静寂な雰囲気の中、巫女の神託が続いた。いつもならば、この辺りで何等かの手がかりが映し出されるのであるが、さすがに今日はそうはゆかないらしい。
 再び大麻を左右左と祓い、祝詞を幾度となく繰り返した頃、やがて御神鏡にはどこかの景色が映りだした。占いの効果が出たのだ。
「玲子、これ…どこだ?」
「何だか芝生の多いところね。あら、鹿がたくさんいるわ」
「五重の搭もあるぞ、これは奈良じゃないのか?」
「奈良公園っていう訳?」
「ああ。お前の占いが正しいとすれば、この御神体が燃えた事と何か関係があるんじゃないのか?」
「そうね、お父様に知らせなきゃ」
 兄妹がそう言った瞬間、急に御神鏡がカタカタと震え出した。
「玲子、危ない!」
 何事かを感じた兄は、咄嗟に妹のえり首を掴んで引き倒した!
 バーーン!
 空気を裂くような衝撃が部屋の中を揺るがし、破裂した御神鏡の破片が周囲に散った。暫くの間、キーンという音だけが耳に残り、沈黙が流れた。それを破ったのは玲子だった。
「な、何、一体、どうしたの?」
「玲子、これはきっと何かあるぞ!」
 二人は神楽殿を出ると、父親である宮司の前に並んで座り、事の次第を報告した。この神社が鎮座して以来の大事件なのだ。宮司も眉をしかめて唸った。
「ううむ、御神鏡が割れたか…。ま、とにかく、お前たちに大事がなくて何よりだった」
「お父様、どうしたらいいんでしょう? 御神体に続いて今度は御神鏡までが…」
「おそらく、何かの前兆だろうな。何かが奈良で起ころうとしているのだ。その事をこの神社の御祭神が教えて下さっているに違いない。よし、尚修、玲子、お前たちは奈良に行くがよい。奈良火川神社には行った事はあるな?」
「はい」
「よし、火川神社崇敬会の奈良支部には私から連絡をしよう。それと、例の男にもさっき知らせたからな」
「『例の男』ってどなたですか?」
 玲子の問いに宮司はニタリとした。
「分らんか? ほれ、こんな事件にピッタリの連中がおるだろうが」
「ああ、超常現象調査会ね?」
「そうだ。あの連中ならきっと何か掴む事だろう」
「久しぶりに後藤さんと会えるなあ」
 兄が両腕を組んでニタリとした。
「お兄様、遊びに行くんじゃありませんよ!」
「ちぇっ、分ってるよ!」
「ときに尚修、例のオモチャはもうできたのか?」
「ああ、アレですか? もう少しです。今は人手が足りないので、後藤さんの方からも何人か手配して戴きました」
「そうか、楽しみにしているぞ。では気をつけて行って来なさい」
「分りました。では失礼します」
 兄妹二人揃ってそう答えると、宮司のいる和室の障子を静に閉めた。そして、お互いに黙って顔を見合せた。
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